Our story from New York to Kyoto
New Yorkでの出逢いと目覚め
1987~1999
現代表の屋敷(堀切)朋美はニューヨークでメイクアップアーティストとして活動していました。若く華麗なモデル、個性的なミュージシャンや女優達に化粧を施す日々。
しかしその目鼻立ちの端正さとは対照的に、浮き彫りになるのが肌の状態でした。ニキビなどの肌荒れに苦しむ女性たちが少なくありませんでしたから。美しさで勝負する職業なだけに、彼女たちの悩みは深刻でした。
プロフェッショナルなメイクアップアーティストとして、そして自身の問題としても、屋敷はこの問題を見過ごすことはできませんでした。そして肌トラブルについて追究した結果、化粧品に配合されている化学薬品がその発生原因ではないかと疑うようになります。
『化学薬品を全く含まない化粧品がないなら、自分が欲しいと思う、
本当に皆が使いたい化粧品だけを作る会社を作ってしまおう』
そもそも、有史以来女性の肌をいたわってきたのは自然由来の成分でした。石油をはじめとする合成成分を配合した化粧品作りの歴史は浅く、その効果や安全性については不確かな点が多いのが現実でした。そんなある日屋敷は、モデルの友人から贈り物を受け取ります。それはその友人の祖母が手作りしたというハーバルウォーターでした。実際使ってみると、自身の肌荒れが治まったのです。これだ! と屋敷は直感します。
「100%オーガニックの天然素材だけを使って、化粧品を作ればいいんだ。」と
そして、1999年にニューヨークにchidoriya corp.を設立
オーガニックの天然素材の中には防腐剤代わりとなるものがあるから、その性質をうまく引き出して製法すれば薬品を添加する必要はないはず。ごく自然にそう思えたのには、父の存在がありました。屋敷の父である堀切修は舞妓や芸妓を顧客とする化粧品や小物を扱う商いを、ちどりやという屋号で1949年より始めました。戦後の物のない時代に、元々薬局で働いた経験があった父は、みかんの皮をグツグツ煮てローズウォーターとグリセリンを混ぜ化粧水を作り、芸妓さんたちに配り喜ばれたこともあったからです。
さらにその後、屋敷はシアバター製造団体の代表であるアフリカ人の女性と運命的な出会いを果たします。当時40代だったその女性の肌は、まるで20代のものであるかのように輝いていました。屋敷がツヤのある褐色の肌の美しさを称えると、美の秘訣はシアバターによるシンプルなケアであることを明かした上で、私には貴女の肌も負けず劣らず美しく見えますよ、とそのアフリカ人女性は応えました。
『日本人の肌のきめ細やかさは世界においても
突出していますよ』と。
この経験から、屋敷はアフリカ人女性のなめらかでハリのある肌を支えるシアバターと、日本古来の椿油とをかけ合わせてみたらどうだろうかと、ふと、思いつきます。
そして実際に着手してみたところ、人間の皮脂にすっとなじむ理想的なテクスチャーのクリームが出来上がりました。シアバターと椿油は互いの性質を補い合って、決して喧嘩をすることがありません。それはまるでバラバラになったパズルのピースがパチっと合わさったかのような瞬間でした。
彼女は、その後もそうやって、いくつもの優れた天然成分をほとんど勘を頼りにしながら組み合わせ、化粧品を開発してきました。相性がよい素材はすぐに見分けらます。配合されることによって芳香がどのように変化するかも、不思議なことに事前にわかるのでした。
たとえばシアバターの甘酸っぱい香りと、椿油特有のまったりとしたやわらかな香り、薬効の高い月桃のみずみずしい香りとが混ぜ合わされると、季節で言えば夏の、新鮮でありながら奥行きのある香りに仕上がります。鋭敏に感性を働かせて作った製品は、結果として保湿や美白に効果があることが証明され、それらの効能はニューヨークの研究員を驚かせるほどでした。
ちどりやストーリー ~これまでと、これから~
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